2011年07月14日
志免鉱業所 竪鉱櫓

でも私としてはこちらの父篇を初めて見たときは自分の生まれた街の映像なので
自分の事みたいで衝撃でした
といっても生まれただけですが
私は大阪出身で1歳から25歳くらいまで大阪で育ちましたが
生まれたのは福岡県の志免町というところです
父親が国鉄職員だったので当時国鉄の志免炭鉱にいたので
私は1歳まで志免町に住んでました
志免炭鉱は戦後国鉄の所有になるまでは日本海軍の所有だったので
日本で唯一の国有の炭鉱でした
1歳のとき父親の転勤で大阪に引っ越したので
住んでいたときの志免町の記憶は写真くらいでしかありません
しかし我が家は両親共働きだったので小学生のときは毎年のように夏休みは
志免町のおじいさんのところに預けられていました
そのときの記憶がかなり鮮明に残っています
当時はまさにこんな感じでした
今は福岡市のベットタウンになってしまって住宅地になってしまってますが
炭住や銭湯の煙突
ボタ山
志免炭鉱独特のシンボル竪鉱のそびえたつ姿
なんだか懐かしいです
また行きたくなってきました
Posted by 濱のマスター at
21:37
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2011年07月14日
2011年07月14日
近道は遠回り。急ぐほどに...
近道は遠回り。
急ぐほどに
足をとられる。
始まりと終わりを
直線で結べない道が
この世にはあります。
迷った道が、私の道です。
誰の書いた詩か知りませんがいい詩ですね
このCM大好きでした
急ぐほどに
足をとられる。
始まりと終わりを
直線で結べない道が
この世にはあります。
迷った道が、私の道です。
誰の書いた詩か知りませんがいい詩ですね
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