2010年11月15日
静岡ジモトリップ

最近出たこの本「静岡ジモトリップ」P44に焼津浜通りのお店がいっぱい紹介されています
その頁に私が作っている”濱の名店地図”がお店探しにお勧めと紹介されています
私の作っている「濱の名店地図」はホテルや市内のお店に置いてあります
焼津市内散策に是非ご利用下さい
Posted by 濱のマスター at
22:04
│Comments(4)
2010年11月15日
焼津と日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

日本武尊は日本の神話(古事記・日本書紀)に出てくるヒーローですが実在の人物ではありません
そこのところは間違えないようにしてください
焼津の名前のいわれである野に火を放ちヤマトタケルと戦ったのはこの地つまり焼津に住んでいた豪族達で焼津に侵略してきたのはヤマトタケルの方なので本来悪者はヤマトタケルの方なんです
そこのところは間違わないでください
「古事記」「日本書紀」などによると、二世紀頃(四世紀との説もある)、初代神武天皇から数えて十二代目の景行天皇の時代。大和朝廷の勢力範囲はまだ現在の近畿地方を中心とした一部の地域に過ぎませんでした。
そこで景行天皇は全国を統一するため皇子の日本武尊に全国の平定を命じました。このときの東国遠征(蝦夷征伐)を「日本武尊の東征」と言います。
伊勢から尾張の国に入った尊は現在の名古屋市鳴海あたりから船で東国へ向かい焼津の浜へ上陸しました。
このとき日本武尊が上陸したのが現在の北御旅所あたりの海岸と言われています。(当時の海岸線は現在のオーシャンロードあたりです)
上陸した尊はこの地の豪族との戦いで草むらに火を放たれ、持っていた剣で草を薙ぎ倒し難を逃れたとの神話から後にこの地を「焼津」とし、持っていた剣を「草薙の剣(クサナギノツルギ)」としました。
この剣は素盞鳴尊(スサノオノミコト)が出雲の国で八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治をしたときにその尻尾から出てきた剣だそうで、「草薙の剣」と呼ばれる前は「天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)」と呼ばれていました。
日本武尊は東征からの凱旋途上に悲運の最期を遂げますが、強すぎるが故に父である景行天皇に疎まれたことや、宮簀姫(ミヤズヒメ)や弟橘比売(オトタチバナヒメ)との悲しいロマンスなど、後の義経伝説とも重なる悲運の英雄として日本各地に伝説が残っており尊が人々に愛されていたことがわかります。
その他に市内に残る日本武尊に関する史跡は尊が休息をしたと伝えられている「御沓脱(オクツヌギ)の跡」(下村家跡、現在の下村家は市役所近く)や日本武尊を御祭神とする「焼津神社」があります。また、焼津神社の夏の大祭は日本武尊の神話に基づくものと言われています。