2011年01月12日
これでも商店街?
ウィキペディアによると
経済産業省の行っている商業統計調査で定義される商店街とは
店舗が20店舗以上連続して集積していることと定義づけされているそうです
この定義に当てはめると焼津の商店街は悲しいかなその多くの商店街はこの定義 には当てはまらないようです
商店街の人たちは商店街がなくなると近隣に住む高齢者が困るとか商店街の人たちは言いますが
この昭和通りを例にすると商店街で一日の買い物は完結しませんそもそもお店が無いので
商店街には高齢者が行きたくなるような商店街になるように変化する必要があります
今の昭和通り商店街はスーパーもちづきの門前町に成り下がったように思います
もっともスーパーもちづきやスーパー田子重のほうが高齢者や障害者に優しいですが
障害を持った私が思うには高齢者がどうのというには休憩をするベンチもないし
この商店街はとても高齢者に優しいとは思えません
焼津の浜通りで生まれ育った私の奥さんは子供の頃(40年位前)に月に一度程度お洒落をして昭和通りに連れて行ってもらい
大勝堂の食堂(今はもう有りませんが)にお食事に連れて行ってもらう事が楽しみだったそうです
その頃の昭和通りは行き交う人の肩が触れ合うほどの賑わいだったそうです
いい時代だったと言えばそれまでですが・・・
こんな商店街に賑わいを取り戻す為に焼津で行われているのが
今の焼津のまちづくりです
私には まちづくり=商店街の活性化 ではないと思うのですが
何故か? 焼津ではそうなってしまうみたいです
もっと焼津市を広く見てもらいたいです
商店街も大事かもしれませんが商店街は焼津市の一部でしかありません
商店街以外でもがんばっている人はたくさんいます
むしろそういう人のほうが多いくらいです
しかし何故か?焼津のまちづくりの重鎮の皆さんはそういう商店街の人たちばかりです
この人たちが焼津のまちづくりの予算の配分を決めているのです
こんなことを続けていたら焼津の将来は悲惨なものになってしまいそうです
商店街の事は商店街の人たちが自分たちでもっと考えればいいことだと私は思います
商店街でイベントをやったり行政や民間のまちづくり団体がいろいろやってますが
こんなことにばかりに拘ってるよりも商店がやる気のある人に交代すればいいのでは?
私が考えるには今の商店街の問題は新陳代謝が行われていない事が一番の問題では無いでしょうか?
たぶんこういうことは私なんかよりもっと偉い人が言ってると思いますが
全国的にも商店街という業態が市場にミスマッチしている事もそうですが
どんな世界でもそれは同じでスポーツの世界でもベテラン・若手の交代がスムーズに行っているところが
結局は強くて優勝するのです
ベテランは若手に負けないようにがんばるし若手もベテランと競ってそれに勝とうと努力して強くなっていくのだと思います
もちろん古くから続く老舗を否定しているわけでは有りません
長く続いている老舗ほど時代時代に合わせて商売の仕方を変えていると思います
変化しないのなら代わるべきと言っているのです
商店街にはいろんな名目で税金が投入されていますが
今のこの状況は悲しい限りです
今全国でがんばっていると言われる商店街は行政におんぶに抱っこされているだけでなく
自分たちで積極的に変わろうとしている商店街だと私は思います
昭和通り商店街はシャッターの閉まった店舗は少ないですがもっとひどくて代わりに店が無くなり駐車場ばかりになってしまいましたその他の商店街は文字通りシャッター商店街です
これだけいろいろ行政が援助しても今の悲惨な状況にあるなら営業していない店舗(商店街にあってシャッターを閉めたままにしている店舗)にはペナルティーを課すべきではないでしょうか?
新陳代謝が出来ないなら何かの税金の助成を受けている店舗で今営業していない店舗には
税金を加算するとかしてシャッターを閉めているより他人に譲るか誰かに貸した方がよいと思わせるようにして新陳代謝を促進すべきだと私は思います
これは政治に期待するしかないのかも知れませんが
丁度2月には焼津市会議会議員選挙もあります
焼津を変えるにはただ”まちづくり””まちづくり”と声を上げる人より
何をどうすると具体的な施策を持って実行力のある人に是非議員さんになってもらいたいものです
やる気のある人にどんどん入れ替われば商店街も活性化してくるのでは?
今の商店街にばかり拘っていると焼津全体が今の焼津の商店街見たいになってしまうのでは?そうなってからでは遅いように私は危機感を感じています
いっそのこと実際の商店街ではなくネット上にやる気のある商業者を焼津中から集めて仮想の焼津の商店街を作ってみても面白いのでは?
Posted by 濱のマスター at 23:51│Comments(6)
│つぶやき
この記事へのコメント
私だったら焼津を水の街にしてみたいですね。 汚いとか蚊が出るとかで30年ぐらい前?から町の中を流れる小さな川にコンクリートの蓋がされだして、そんなドブ川達でもその昔、焼津の人は水遊びしたり、洗濯をしていたそうです。 今は前より全然きれいになったのだからまたコンクリート剥がして川を復活させて欲しい物です。 昭和通りなどには真ん中に小さな流れを作りそれに沿って木を植えて日陰を作って、その風景に合ったベンチなどを置けばお年寄りなど気持ちよく休めるのでは? 都会の真似したってしょうがない、ます焼津の人が焼津を田舎だって自覚しないとダメですよ。どうすれば個性のあるいい感じの田舎になるか考えないと。
Posted by かわむら at 2011年01月13日 06:32
商店街について詳しい事は知らなかったのですが、主人の母が
昭和通りのそばで飲食店を経営しております。
詳しくは解りませんが、商店街リニューアルプランがだいぶ前から
あるにもかかわらず、全然実行されている様子ないんですよね・・・
それとは別のジャンルで焼津を元気にしようと頑張ってる方は大勢
いるんですよね!
マスターもその一人だと思いますし、すばらしい活動をされていると
思います。
私が、焼津市民の活動として素晴らしいと思うのは、
第5福竜丸の被爆の痛みを世界に発信して、反核運動を積極的に
行ってるということです。この事を焼津市民は誇りに思うべきだと
思います。今は小学生にもきちんと教えていますし、シンポジウムも
行っているので人事とは思わず、もっと力を入れても良いと思います。
長くなってすみません(汗)
昭和通りのそばで飲食店を経営しております。
詳しくは解りませんが、商店街リニューアルプランがだいぶ前から
あるにもかかわらず、全然実行されている様子ないんですよね・・・
それとは別のジャンルで焼津を元気にしようと頑張ってる方は大勢
いるんですよね!
マスターもその一人だと思いますし、すばらしい活動をされていると
思います。
私が、焼津市民の活動として素晴らしいと思うのは、
第5福竜丸の被爆の痛みを世界に発信して、反核運動を積極的に
行ってるということです。この事を焼津市民は誇りに思うべきだと
思います。今は小学生にもきちんと教えていますし、シンポジウムも
行っているので人事とは思わず、もっと力を入れても良いと思います。
長くなってすみません(汗)
Posted by さくらや at 2011年01月13日 20:40
>かわむらさん
水路をふっかつさせるのはGoodですね
焼津の人は自分たちが標準語を話してると思ってるようですねお笑いです
>さくらやさん
私がやってることなんてぜんぜんですよ
水路をふっかつさせるのはGoodですね
焼津の人は自分たちが標準語を話してると思ってるようですねお笑いです
>さくらやさん
私がやってることなんてぜんぜんですよ
Posted by 濱のマスター
at 2011年01月14日 00:46

確か商店街リニューアルするのには、、、今までの感じで行くと、一年に何メートルってしか市の予算が下りないのでちょっとづつしか出来ないから躊躇しているのかなあ? でもすぐ5年後とかじゃなくって30年後焼津がいい田舎になってたら、って始めれば良いのにと思います。 自分達がジジイになった時でもいいじゃないですか。 もうあの世かもしれませんが、、、とりあえず始めないと。
Posted by かわむら at 2011年01月14日 04:19
はじめまして。
私は実家は静岡市で、父の実家が焼津駅前通り商店街にあり、私本人は名古屋、秋田、アメリカ在住の後、現在世田谷に住んでおります。
もちろんこの昭和通り商店街も通りましたが、いろいろな町を見てきて思うに、いわゆる“シャッター商店街”になるには複合的な要素が絡み合います。
ただ共通していえるのは “社会の変化に付いていけなかった” と言うことです。
焼津駅前商店街も私が子供の頃は現:焼津信金のあたりにジャスコがあり、非常に栄えておりました。港祭りの時はそれそれは静岡市とは比較にならないくらいの駅前の賑わいでした。 子供心に夏は父の兄弟衆が大挙して集まる事もあり楽しみでした。
その後、ジャスコがなくなり駅前も元気がなくなりました。 同時にすごい勢いで自動車の保有率があがり、すれ違うにも一苦労する駅前商店街は、オーナーの高齢化と共に衰えていきました。
今現在も駅前が当時までなったとは思えませんが少なくとも自動車ユーザーに来やすいように数年前(数十年前かな?)道路を変化させました。同時に、歩行者に配慮した歩道造りもしました。すると不思議なもので少しづつ若者があつまり、若者にあうような店ができて代替も進んでいきます。 既存店舗でも、売上の見込みが立ち、二代目が店を継ぎ始めました。 時代の変化に併せて、町も変化を少しづつし始めているのです。 それに併せてバスも本数を増やし“足のない人々”にも足を提供し、人の集まりを見込み大手デベロッパーが開発をし始めます。
翻って昭和通りはバス路線もなく(ですよね?むかしは存じ上げませんが・・・)、漁業で栄えた時代の反映もなく、また製造業などの大きな産業もありません。 老若男女の来る足もなければ、そのための街づくりもなし。 産業もなく、ここを通る意味がありません。 人口も恐らくここ10年減り続けているでしょう。 デベロッパーも利益の見込みのたたないエリアの開発はしません。
いろいろ理論翳すよりも、時代の変化についていけている町であるか否かのいい指標があります。
“お近くにコンビニはありますか?”
“大きな変化をもたらす”には、“大きな力”と、“大きな痛み” を伴います。
それをうけいれらる地域住民の合意ができて初めて変化できるでしょうね。
P.S.
大先輩をあいてに失礼いたしました。
私は実家は静岡市で、父の実家が焼津駅前通り商店街にあり、私本人は名古屋、秋田、アメリカ在住の後、現在世田谷に住んでおります。
もちろんこの昭和通り商店街も通りましたが、いろいろな町を見てきて思うに、いわゆる“シャッター商店街”になるには複合的な要素が絡み合います。
ただ共通していえるのは “社会の変化に付いていけなかった” と言うことです。
焼津駅前商店街も私が子供の頃は現:焼津信金のあたりにジャスコがあり、非常に栄えておりました。港祭りの時はそれそれは静岡市とは比較にならないくらいの駅前の賑わいでした。 子供心に夏は父の兄弟衆が大挙して集まる事もあり楽しみでした。
その後、ジャスコがなくなり駅前も元気がなくなりました。 同時にすごい勢いで自動車の保有率があがり、すれ違うにも一苦労する駅前商店街は、オーナーの高齢化と共に衰えていきました。
今現在も駅前が当時までなったとは思えませんが少なくとも自動車ユーザーに来やすいように数年前(数十年前かな?)道路を変化させました。同時に、歩行者に配慮した歩道造りもしました。すると不思議なもので少しづつ若者があつまり、若者にあうような店ができて代替も進んでいきます。 既存店舗でも、売上の見込みが立ち、二代目が店を継ぎ始めました。 時代の変化に併せて、町も変化を少しづつし始めているのです。 それに併せてバスも本数を増やし“足のない人々”にも足を提供し、人の集まりを見込み大手デベロッパーが開発をし始めます。
翻って昭和通りはバス路線もなく(ですよね?むかしは存じ上げませんが・・・)、漁業で栄えた時代の反映もなく、また製造業などの大きな産業もありません。 老若男女の来る足もなければ、そのための街づくりもなし。 産業もなく、ここを通る意味がありません。 人口も恐らくここ10年減り続けているでしょう。 デベロッパーも利益の見込みのたたないエリアの開発はしません。
いろいろ理論翳すよりも、時代の変化についていけている町であるか否かのいい指標があります。
“お近くにコンビニはありますか?”
“大きな変化をもたらす”には、“大きな力”と、“大きな痛み” を伴います。
それをうけいれらる地域住民の合意ができて初めて変化できるでしょうね。
P.S.
大先輩をあいてに失礼いたしました。
Posted by 県庁の星 at 2011年01月14日 14:57
>かわむらさん
グズグズしてましたが今やっと神武通りとの境に来ました
>県庁の星さん
始めまして
ご指摘のようにコンビニは商店街から離れた道路沿いに有ります
私は合意が有ろうが無かろうが変わらないと商店街の未来は無いでしょう
まあ私は商店街がどうなろうと困る事は有りませんが・・・・
グズグズしてましたが今やっと神武通りとの境に来ました
>県庁の星さん
始めまして
ご指摘のようにコンビニは商店街から離れた道路沿いに有ります
私は合意が有ろうが無かろうが変わらないと商店街の未来は無いでしょう
まあ私は商店街がどうなろうと困る事は有りませんが・・・・
Posted by 濱のマスター
at 2011年01月14日 22:06
